「自分史」は、大人よりも、子どもにこそ書かせてみたい

「ねぇ、一番昔の記憶って、何?」
ふいに子どもにそう尋ねてみたくなったこと、ありませんか?
なかにはお腹の中にいた当時のことを語り始める子もいるとか。すごく気になりますよね。

私が思い出すもっとも古い記憶は、毎朝、母と一緒に父をバス停まで見送りに行っていた場面です。
3歳下の妹がいますが、記憶の中には登場せず、父に抱っこされてバス停まで行き、母にバトンタッチされて帰っていたことを考えると、2歳頃のことだと思うのです。
小さな私は薄手の木綿のワンピースを着せられて、背中に感じる父の体温や、手を振る母の笑顔、
バスのエンジン音や、朝の光のまぶしさまで、全部を包み込むように記憶しています。
そして、それは「私は大切にされていたんだ」と思わせてくれる、私の原点のような記憶でもあるのです。

けれど、この記憶も、とくに誰かに語ったことはありませんでした。
最近になって、自分史を書こうと思い、少しずつ昔のことを思い出すなかで、ようやく言葉にするようになったのです。

そして、こんなふうに思いました。
子どもがそのとき感じたことを言葉にして、記録に残しておけたらいいのに、と。

「自分史」と聞くと、多くの人は“高齢者が人生の終わりに書くもの”とイメージしがちです。
確かに、これまでの自分を振り返ってまとめる、という意味ではその印象も強いでしょう。
でも、本当はもっと前――子ども時代にこそ「自分史」を書く体験をさせてあげたいと私は思うのです。

たとえば、
一番古い記憶を思い出して書いてみる
家族との日常の中で印象に残っていることを記録してみる
「なんでそれを覚えているの?」という“記憶の謎”を解いてみる

それは作文のようでもあり、遊びのようでもあり、
そして何より、「自分を大切にする練習」になるのです。

子どもたちは案外、小さな心で大きなことを感じています。
たとえば私自身、ぶらんこから何度も後頭部を打ちつけながら、
「どうして気をつけてるのに転ぶんだろう…」と悔しくて涙をこらえていた記憶があります。
剃刀でおままごとをして指を切りながらも、「次はうまくできる」と信じていた自分もいました。

そんな一つひとつの感情を、誰にも評価されず、正解も間違いもなく、ただ言葉にして残しておく――
それが、将来の自己肯定感につながると私は信じています。

「私はこう感じた」
「私はこんなふうに見ていた」
「私はこんなことが好きだった」
それを言葉にできる人は、すでに一つの“人生の語り手”です。
そして、子どもは意外とその素質に満ちあふれています。
きっと宝物のようなエピソードが眠っているはずです。

最後にもう一度、こう問いかけてみたくなります。
あなたの一番昔の記憶って、なんですか?
それを、書いてみたことはありますか?

そしてできれば、
あなたの隣にいる子どもにも、そっと同じ質問を投げかけてみてください。
そこから始まる「小さな自分史」は、
きっとその子の人生にとって、大きな意味を持つことになるはずです。

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